日曜日, 1月 21, 2018

SHISHAMO 4 の宮崎マジック

武道館ライブで「音楽室は秘密基地」の時,宮崎さんはギターをつま弾きで始めて,瞬時にピックのストローク奏法に移る。曲の終わりでは今度は逆にピック奏法から,つま弾きに変える。昔学生時代に友達と,これどうなってるんだと話したことがあった。彼は,指の間にピックを挟んでいて,出し入れしているんだと答えたんだけど,なるほど,宮崎さんはそれを当にやってるんだなと思った。びっくり!。

木曜日, 1月 18, 2018

有村架純とテレビ体操

今日のインスタグラムに有村架純がランニング時の動画をアップした。
かねて,私は有村のランニングとジム通いの話を聞いて,毎朝のテレビ体操の励みにしてきた。
なるほど,そうなんだ,明朝から私も頑張ろう。

SHISHAMOの詞と旋律

作品の詞はメロディーによってそのアクセントや文節が壊されることがない。変化はつけても,この原則が守られているので,言葉が素直にこちらの胸に入ってくる。
この詞とメロディーの進行にドラムやベースがついてくる。だから作品の展開が非常に自然だ。…ということで目下,SHISHAMOにメロメロだ,私は。

水曜日, 1月 17, 2018

SHISHAMOのドラム

「夏の恋人」と「ほら,笑ってる」での一番の違いは,ドラムの後打ちに溜めができたということだと思っている。だから,バラードの気持ち良さが,ドラムのリズムで生まれていると思う。

月曜日, 1月 15, 2018

SHISHAMO の「卒業制作」

なるほど,高校時代にスタイルはできていたということがわかった。
宮崎さんがこだわっていたというSHISHAMOらしさというのは,メロディーとリズムでは感じられるけど,私はまだ,詞の部分が追いつけていない。
NHK,「SONGS」エレカシ宮本x爆笑太田の中で,「メジャー」とどう向き合うかという件があるけど,エレカシにとっては「今宵の月のように」が節目だったように,SHISHAMOの場合「明日も」がそれに当たるようだ。宮崎さんは「応援ソング」が嫌だったらしいけど,LIVEを重ねるうちに「結果私の勘も,案外あてにならないな」と思ったということだ。
エレカシ宮本は30年間「ファイティングマン」をライブの中で歌い続けて来て,やっとファンの人が大事にしてくれる曲になってきたと言う。
爆笑太田はエレカシの曲は「歩いている感じがする」と言う。30年間ちょっとずつちょっとずつみんなで歩いて来た。
また,「たまにほら,スーパースターみたいにデビューした時からバーンと行っちゃう人もいる,マッハのスピードで」と言うくだりがある。
SHISHAMOはそう行ったケースに当てはまりそうだけど,「多くのバンドやアーティストと比べてとても恵まれた状況」なんだけど,でも,そうではなくて,「SHISHAMOって下積みっていう時間をほぼ経験していないじゃないですか。だから大抵のバンドが最初の頃に経験するライブハウスのブッキングによるライブっていうのをこのツアーの時に経験しなかったら」というような経験を積み重ねた時間もあったわけで,「SHISHAMOの音楽はギターとベースの違いもわからないような子達にも聴いて欲しいし,ライブにも来て欲しいバンドだから」という方針を貫いて,節目節目で生まれ変わって5年後にも続いて欲しいバンドだなって思う。宮崎さんは「私が28歳でバンドなんてやってたくないよ!」っていう部分もあるらしいから。
エレカシの30年とSHISHAMOの5年を比べて考えるのも変なことなんだけれど,ファンの心を掴んでいることには変わりないから…。

木曜日, 1月 04, 2018

有村架純とシシャモ

有村架純の番宣を見ていると,必ず「劇場でお待ちしています」と云う,そうなんだ,もはや映画はDVDなどでは利益を上げられなくなって,劇場での利益が頼みになっているようだ。
シシャモの活動記録を見ると,フェスへの参戦が基調になっているようだ。映画畑と同じようにDVDなどでは利益が上がらないようで,YouTubeで主な作品を公開して,Liveで全国を回って利益を生み出しているように見える。
う〜ん,どちらもなんだか体力勝負なような気がして,辛いなぁ。

日曜日, 3月 25, 2012

ジャーナリズムについて、ドイツの例

ドイツのテレビ局が福島原発を取材して、ジャーナリズムのあり方を見せてくれた。日本のテレビでこうした取材努力をしたところはない。噂に聞けば、報道する前に自分の家族を逃がしておいたからもう大丈夫と言って、報道規制の張られたところにたむろしていたジャーナリストが多かったようだ。東電の上層部もそう、自分の家族は逃がしておいて、最後までメルトダウンはしていません、直ちに健康に被害が出る事はありませんといい加減なことを言わせていた。ドイツの報道姿勢を日本のジャーナリストも見習った方がいい。今なら、日本語訳付きで見られる。

ドイツZDF フクシマのうそ

http://www.dailymotion.com/video/xpisys_yyyzdf-yyy..
 

農林水産省による農地土壌の調査

農林水産省のページを見てみる。
http://www.s.affrc.go.jp/docs/press/120323.htm
「農林水産省は、福島県及びその周辺15都県を対象に、「農地土壌の放射性物質濃度分布図」を作成しました。
濃度分布はこれまでの航空機モニタリング等で得られた空間線量率の分布とほぼ同様の傾向を示しました。また、自治体レベルでの農地土壌の詳細な濃度分布が明らかになったので、今後の除染や現場での営農への活用を進めていきます。 」
ということだ。除染に役立てるといっても、放射能は移動するだけだから、まぁ、長い時間をかけての実験と言うか、データを積み重ねていくしかないだろうなぁ。

(例)
 http://www.s.affrc.go.jp/docs/press/pdf/120323_03_bunpuzu.pdf

金曜日, 3月 23, 2012

文科省放射線量等分布マップ

文科省の該当ページに行くと、閲覧にあたっての注意事項が書いてあり同意を求められる。その中に、
「放射線量等分布マップは、地表面に沈着した放射性物質による住民の健康への影響及び環境への影響を将来にわたり継続的に確認するため、東京電力(株)福島 第一原子力発電所から80km圏内は2km×2kmメッシュに1箇所の地点で、80km~100km圏内及びこの圏外の福島県は10km×10kmメッ シュに1箇所の地点で、空間線量率を測定するとともに、各箇所で最大5地点の表層5cmの土壌を採取し、核種分析した結果をマップ上に示したものです。」
というような事項もある。今後継続的に調査を続けていき、その結果を公開するとしている。同心円も書いてあるが、調査範囲を示すためか黒い太線で青森から福井・滋賀・三重辺りまで囲んである。東京新聞の22日版だったかに「東北・関東の路上マップ」というコラムで解説が書かれている。一部抜粋すると、
『 文科省によると、放射性物質の量が半分になる半減期を基に算出すると半年での減少割合は一割程度にとどまるが、文科省は「アスフアルトは土に比べて放射性セシウムが雨で流れやすいことや、車のタイヤに付着して移動したことが原因として考えられる」と分析している。』
などと取材されている。
文科省の該当ページでは、メッシュごとにクリックすると拡大図を見る事ができる。私の住む川崎の線量は 0≦0.1 となっていた。毎朝計っている線量はこの最大値 0.10 がだいたい今までの平均である。この辺は、河を挟んで対岸に大田区のゴミ焼却場があり、そこには多摩地区から運んできた高濃度放射線を出す焼却灰が積まれている筈であり、震災被害地のがれきも焼却している筈なので、それらを考え合わすと、まぁまぁの値なのかもしれない。
 http://ramap.jaea.go.jp/map/mapdf/index.html
(例)実際とはちょっと違い図が崩れています。


文部科学省 放射線量等分布マップ 電子国土
    
 a b
c d
    
放射線分布マップPDF
4分割された地図をクリックすると
●航空機モニタリング結果
●放射線量等分布マップ
●放射線量等分布マップ(走行サーベイ)

別のPDFファイルへのリンクが表示されます。

水曜日, 3月 21, 2012

バンダジェフスキー氏の警告

昨年、3・11の後に首都圏で200万人の犠牲者が出るだろうと予測計算をした学者の方がいた。政府と東電は現状の情報隠しをし、昨年暮れには事故の収束宣言までした。事故当時の菅首相は東電があまりにも情報を送ってこないので、ヘリコプターで現地に行き逃げ出そうとしていた東電社員を、押しとどめた。彼はその後、浜岡原発を即時運転中止の指示を出し脱原発宣言をした。そうしたらすぐに原子力ムラの住人たちの反撃により、首相の座を引きずり降ろされた。跡を継いだどじょう内閣は官僚の描いたシナリオ通りに事を進めて、日本の未来は暗闇の中に埋没して先の見通しが全く立たなくなっている。ストレステストという茶番を演じて、経産省の思い描いたとおりの道を突っ走っている。1時テストで後は政治判断により定期点検で2基しか動いていない原発を少しでも早くテストを切り上げてゴーサインを出している。でもちょっと待ってほしい。飛行機事故でも電車事故でも調査委員会が原因を突き止めて対策を施してから、元の運行に戻るのが普通である。ところが、福島第一原発は、地震でどの部分が破損し津波で何が破壊されたのか、また、原子炉の状態はどうなっているのかさえ近づけないから何もわかっていないのだ。原子力や電力については、法律によって守られているためか、司法も全く動く気配を見せていない。一方で、津波被害を受けた陸前高田市長は専用焼却炉を現地に設置してがれき処理をしようと県に提案したところ、けんもほろろに門前払いを食わされたそうだ。環境省と県で責任のなすり合いをしていて埒があかないのだそうだ。この非常時にあきれた話だ。大手メディアもおのが身がかわいいから現地に取材に行かずに、記者クラブでの発表記事ばかりかいているから、購読者や視聴者は真実が全く見えてこない。この1年の政府やマスコミの情報隠蔽は外国メディアをあきれさせ、日本の信用は地に落ちてしまった。
さて、バンダジェフスキー氏は、市民に真実を知らせず(SPEEDIの予測図をアメリカには渡したが、国内では発表しなかったことなど・・・)、そのために却って被爆者の数を増やした事、市民を高線量の汚染地区から早く移動させなかった事(これも県と国との共謀)、などによってこれから何世代かにわたり日本人は苦しむ事になるはずであると予想する。去年聞いた話では男の場合セシウムは筋肉に分散するから大した事がないが、女の場合は子宮などに集まるので気をつけろという事だったが、そうではなく、彼のチェルノブイリでの経験によれば、心臓がやられるそうなのである。この事は、日本から何人もの医者が現地に行ってわかっているはずなのに、何の対策もとられていない事に驚いていた。日本は民主主義国ではなかったのかと驚いていたのである。 現に高校生の突然死が起こったり、成人でも突然死が起きている。これは内部被爆によるもので放射能物質の多少に関係なく起こるのだそうである。
さて、3月20日の東京新聞のメディア観望というコラムに社会部の山川剛史氏が「これからが正念場」という題で記事を書いておられる。そう、今までは多くの運に助けられてきたのである。第4号機のプールに大量に格納されている使用済み核燃料はクレーンやらコンクリートやらが落ちていて、来年までに取り出して安全な場所に移す作業に入れるかどうかがまず第一の勝負だ。日本には、こうした場合に対処する技術もないし、研究もしていない。事故発生時にさえアメリカとフランスの知恵と技術に頼ってきたのだ。ロボット大国と威張っていた国のロボットは過酷な環境の中では何の役にも立たなかった。これからはこうした事の連続だ。それ以上に差し迫った問題は既に高線量を浴びて作業場を離れなければならない技術者が多く、後に続く人材がいないという事である。
ところで、首都圏ではどれほどの被爆者がいるのか、今流通している食物で内部被爆はどれほどの人に影響するであろうか。ある学者さんの言っていた200万人という数字は現実味を帯びてきた。向こう10年間の日本の人口の減少は加速度的に下降線をたどる事が予想される。4号機に事故があれば首都圏は壊滅し日本はおしまいだ。これからも、幸運を祈るしかないが、ここにきて地震学者の言うのにはその揺れの早さが原発設計時に予測した400ガル〜600ガルを遥かに超えて、4000ガルになってきているという事だ。
日本に幸運を!!!
バンダジェフスキー氏の記者会見
  http://www.ustream.tv/recorded/21213134

火曜日, 2月 28, 2012

エルピーダの会社更生法適用申請に寄せて

エルピーダができた頃の状況で覚えているのは、台湾・韓国勢に追い上げられて、当時の日本のDRAM制作会社は既に瀕死の状態にあったはずだった。それまで産業の米とまで言われて、DRAMにこだわっていた行政やマスコミは大騒ぎをし、日本の持つ高度な技術を結集すれば生き残れるはずだと、発足当初から悲壮な決意で関係者はエルピーダを立ち上げたはずだ。しかし、このときに既に判断を誤っていたのだ。アメリカではとうにDRAMをあきらめて、より高度な回路設計を必要とする半導体の開発・制作に猛然と進んでいた。そういった事から言えば、今までエルピーダが持ちこたえてきた事の方が奇跡に近いのだ。日本は明らかに進むべき方向を間違えた。ちょうどこれは、後におこる日米摩擦のときに、文部省が既にTRONを採用しかかっていたのを、NECなどの横やりでマイクロソフトを選ぶようになったのと似ている。基本的な流れを見誤っていたのだ。まだある。ネットワーク時代に備えて、どの規格を採用するか問題になっていたときに、日本はヨーロッパ基準に固執し続けた。その結果、UNIXを大学で教えるようになったのは、インターネットが普及し始めてからだ。未だに、霞ヶ関のネットセキュリティーの脆弱さは目を覆うばかりだと聞いている。
参考:http://xwin2.typepad.jp/xwin2weblog/2012/02/jdramoutes.html

日曜日, 2月 26, 2012

父母との別れ

一昨年に母を亡くし、去年父を亡くした。母が自力で動くのが困難になってきた頃、近くの施設で介護の手続きの仕方を教わり、区役所などの行き来が続いた。ケアマネージャーさんに計画を作ってもらい、ヘルパーさんたちと打ち合わせをし、風呂場の改造、手摺の取り付け、ベッドの借り入れなどが一気に整った。母はおしまいの頃、歯が1本になってしまったので、歯医者さんに出張してもらって入れ歯を治している途中で最後を迎えた。父が仕舞いまで面倒を見ていた。一人になった父は私が手を出すのを最後まで拒否した。とはいっても、朝、父の家にいくと大抵、畳の上で仰向けになり私を呼んでいた。一人でトイレに行くつもりが、紙おむつを取って投げ出すものだから、布団や畳やらが汚れていたのだった。
二人とも最後を迎えるときに、私の顔を見つめたのだった。声は出ないが目で物を言っていたのだろう。その後、息苦しそうな動作とともに心肺停止状態に向かうのだった。母のときは救急車がすぐきてくれたが既に遅かった。病院に運ばれたので、事故扱いになってしまった。葬儀や遺品整理を終えて、家の後始末に取りかかり、やっと一息ついたという感じだ。今までは夢中で動いていたのが、今では精神的な疲れがどっと押し寄せてきたという感じだ。家の始末のつくのに、もう少しかかるから、それが終わったら、ゆっくりさせてもらおう。