神奈川新聞、山折哲雄氏のコラムからの引用;
『そもそも個とか個人とか個性という言葉は、みんな西欧からの輸入語だった。せいぜい明治以後百年をこえる歴史しかもたない翻訳語だった。・・・歴史をふり返ればわかることだが、私はその「個」に対応する我が国の伝統的な言葉のなかに「ひとり(一人)」があったと思う。・・・
あしびきの 山鳥の尾の
しだり尾の ながながし夜を
ひとりかも寝む (柿本人麻呂)・・・
個愁のひとり寝を楽しんでいる人麻呂、・・・
われわれはこの戦後の六十年、あまりにも個、個、個…とばかりいいつづけてきたのではないだろうか。』
もう一つ、神奈川新聞の第37回柳壇年間賞からの引用;
『「大人にもまだ外せない躾糸 松本律子」・・・
現実の社会は、・・・子供だけでなく、目を背けたくなるような大人の振る舞いも多く見られる。躾糸の役割を知らない親たちも増え、守るべき規範もないがしろになっている。・・・』
以上、いずれもちょっと立ち止まって、自分の身をふり返ってみれば、なんのことはない・・・というものじゃぁないだろうか。世の中があまりにスピードアップしたことに皆が皆振り回されているということを、物語ってはいないだろうか。エゴ、地域エゴ等ばかりを追っかけて政治も動き、企業も動く。日本人のもっていた自然観はそんな薄っぺらなものではなかったはずだ。封建制がいいとはいわない、明治からの帝国主義がいいとはいわない、でも、その背後にあった日本人の庶民の感性は何処へ行ってしまったのだろうか。
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