木曜日, 6月 14, 2007

私が遭遇した「厚生年金制度」の摩訶不思議

筆者はずいぶん我慢強い人で、穏やかな性質の人だと感じました。
日本で会社経営をしているためにこうした穏やかな物言いができるようになったのでしょうか。

私が遭遇した「厚生年金制度」の摩訶不思議 (生きる~ニッポンの風に吹かれて):NBonline(日経ビジネス オンライン)
『・・・次に私が日本の厚生年金制度にぶつかったのは、母国オーストラリアで銀行へ融資を申し込んだ時でした。日本で積み立てた年金の合計額を融資申込書に記入しなければならなかったのです。管轄の社会保険務所や、その他のたくさんの窓口に問い合わせました。
いくら聞いても、その答えは「よく分かりません」あるいは「その計算は複雑なので、普通はその情報は提供できません」。毎回ぐるぐるとたらい回しにされた挙句、ほとんど答らしい答えは出てきませんでした。 』
『日本でも、一般的な契約書の中に管理者の「注意義務」という文言がよく出てきます。民法の場合には過失の前提とされています。管理者にその注意義務の違反があった場合に、損害賠償責任が生じるわけです。
読者の方もご存知のように、社会保険庁は過去において勝手にリゾートホテル事業を展開しました。そのために2000億円弱の年金資金を使ってしまいました。そして素人経営の結果、膨大な赤字を出して、ホテルは売却せざる得ない状況となり、回収できたのは当初の投資額のたった2.5%に過ぎませんでした。善良なる管理者の注意義務違反の際立った実例です。 』
『確定給付型の年金制度を支える不可欠条件は、若年齢層の多い人口です。その認識を踏まえて、日本と同じく高齢化を迎えている先進国の多くは、確定給付型から確定拠出型の年金制度へ切り替え済みです。
例えばオーストラリアの場合、国側は弱者や低所得者のために、安全網の役割を果たす最低限の年金制度を維持します。そして、大半のサラリーマンが本人名義の口座に、雇用者と一緒に掛け金を拠出します。 』
『社会保険庁の注意義務違反に関しては、今度の参院選挙で与党が大敗北するのが普通の国でしょう。しかし日本の政治はぜんぜん普通ではありません。いつものように日本の国民の反応は鈍いのでしょうか。一般庶民は、自分のお金に係わる大不祥事に対して、無関心やあきらめの気持ちでは、もうそろそろいられないでしょう。』

いつもこうした問題が起こるときに感じるのは、官僚や政治家の勉強不足と、物事を決める際に集められる有識者の見識の無さです。日本の学者達は何を研究しているのでしょうか。その学識の低さをいつも思い知らされるのです。あるいは、日本で3権分立が機能していないように、政府から諮問を委任される人たちは、あらかじめ決まっている結果を追認するための形だけの集まりなのでしょうか。
それとも、大学の教育レベルが低くなりすぎて、日本人自体が物事の判断能力を無くしてしまったのでしょうか。今の日本人には常識は通用せず、正義も通用せず、正直者が馬鹿を見る社会に成り下がったのでしょうか?
テレビの民放は、特定の興行会社と組んで内輪の利益ばかりを追い国民を愚民に誘導しているようにも見えます。そんなマスコミの責任も重いでしょう。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

年金は複雑で納入された年金保険料の計算方法も国民年金はリストには月数だけ、厚生年金は年毎の標準報酬額が記されているだけで実際いくら納入されたかは丹念に足し算を繰り返さないと分からないのです、よく市民から聞かれるのに放置していたやはり怠慢ですよね、メディアは今回の件もそうですが反省することなくあおるだけです。知識のない市民はメディアがいったことを鵜呑みにしているのが現状ですかね、やはり何事も疑いの目を持って自分で調べることが必要ではないでしょうか。

SHISHAMOとジャズのリズム

SHISHAMOの武道館でのライブを記録した,ブルーレイディスクを聞いている。SHISHAMOの曲の詞はメロディーに乗せるのがジャズのリズムになっている気がしてしょうがない。そう,これらの詞はジャズのインプロビゼーションそのものだ。