金曜日, 8月 10, 2007

戦争と平和

8月6日の東京新聞から、
『同会(市民団体「戦場体験放映保存の会」)事務局の田所智子さんは「多くの元兵士たちは終戦直後は仲間が戦犯に問われるかもしれないと体験を話せず、その後は企業社会のしがらみの中でやはり口を開けなかった。終戦から六十年以上がたち、ようやく自由に話せるようになってきた」と説明する。』
『「これまでも学徒出陣した人々の手記などはあったが、それはいわばエリートたちの話。戦後の革新陣営も元兵士らに必ずしも温かくはなかった。ある意味、身のおきどころがなかった無名兵士らの言葉を集めたいと考えた」』

別の日の東京新聞から、
『金子さんは一九四〇年十二月、二十歳で徴兵され、中国山東省・青島に上陸。臨清など五つの街を拠点に八路軍(共産党軍)を捜して山村を転々とした。八路軍やゲリラの根拠地に対し「焼き尽くし(焼光)、殺し尽くし(殺光)、奪い尽くす(槍光)」といういわゆる三光作戦を行った。』
『八路軍が潜む集落に催涙弾を撃ち込み、飛び出してくる村人たちに向かって機関銃の弾を浴びせた。戦闘が終われば集落を焼き払った。米や小麦、綿花、牛などの家畜も略奪したという。』
『「古い兵隊が女の人に乱暴しようとして抵抗され、真っ逆さまに丼戸にぶち込んだ。これを見た四、五歳の男の子が『マーマ、マーマ』と泣いて自分から丼戸
に飛び込んでしまった。苦しんで死ぬのがかわいそうと思ったのか、その兵隊が
『手りゅう弾をぶち込んでやれ』というので、持っていた一個をぶち込んだ」「当時はそういうことを平気でやった。同じ年ごろの子どもを見ると胸にこたえる。ちょうど孫が同じくらいの年ごろだよ」』

今日のNHKハイビジョン特集で、日本軍の毒ガス作戦のドキュメントを放送している。当時の関係者が、いろいろな証言を吐露している。
『近年、中国で日本軍が遺棄した毒ガス兵器による被毒事件が相次ぎ深刻な問題になっている。 日中戦争開戦70年。なぜ遺棄毒ガス兵器は今日まで放置されてきたのか、なぜ日本軍の毒ガス作戦は忘却されてきたのか。
そ の原因の一つは、東京裁判でアメリカが免責したことにある。当初、日本軍の毒ガス使用は、国際法違反として裁かれるはずだった。戦争中から日本軍の毒ガス 使用を非難してきたアメリカは、その証拠をつかんでいた。しかし、アメリカ軍内部で化学戦の研究・作戦立案を担っていた化学戦統括部の強硬な反対によって 訴追は断念された。』
NHKでは、以前、敗戦間際に旧日本軍が廃棄した毒ガスなどの場所のドキュメントを放送したことがあった。日本近海には大量の毒ガス弾が捨てられたままなのである。
今まで堅く口を閉じていた戦争体験者がここに来て、重い口をようやく開き始めたこと、アメリカでの新資料の発掘などにより、日本軍の国際条約違反を承知の上での戦争行為が明らかになってきたことなど、戦後処理(中国での置き去られた毒ガス弾の処理など、戦争被害者への保証など・・・。)はこの先いつまで続くことになるだろうか。とにかく真実が明らかになっていないことがまだまだありそうなのである。
でも、こうしたしっかりしたドキュメントはどうしてNHKだけでしかできないのだろうか?
いずれにしても、気の重い話だ。

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SHISHAMOとジャズのリズム

SHISHAMOの武道館でのライブを記録した,ブルーレイディスクを聞いている。SHISHAMOの曲の詞はメロディーに乗せるのがジャズのリズムになっている気がしてしょうがない。そう,これらの詞はジャズのインプロビゼーションそのものだ。