金曜日, 10月 19, 2007

デスパレート・ワイブズ(絶望的な妻たち)に見るアメリカの良心

男女の役割分担は? 元来両性の役割とは?

日経ベンチャーonline ニッポンの社長へ: デスパレート・ワイブズ(絶望的な妻たち)に見るアメリカの良心 ー 辰巳渚氏
『このテレビドラマのセリフが出てきた場面は、育児を夫に任せ、再就職したキャリアウーマンの妻が、仕事と家庭の両立で奮闘し、母親を追う息子を見て罪悪感に苦しんで涙するとき、主夫業に奮闘している夫が「大丈夫。子どもはちゃんとわかっている」と慰めるシーンだった。母親失格ではないか、仕事をやめて家庭に戻るべきではないか、と自信を喪失している妻を、責めることなく夫は励ます。このシーンからいっても、保守的な家庭観への単純な回帰ではないことが、よくわかるだろう。ウーマンリブと女性の自立を積極的に推し進め、そのバックラッシュ現象として育児や家庭への回帰も起きているというアメリカだからこそ、このような発言がなされるのだと思う。』
『私は、いまどきのかいがいしい父親たちを見るたびに、ちょっと不安になるのだ。世の中に、「母親」ばかりが増えるのではないか。夫婦がふたりの母親になることで、妻は「私が要である」という認識を持ちにくく、夫は「私が支えとなる」という認識を持ちにくくなる。それでうまくいくなら何も問題はないけれど、ひとつの共同体には船頭は複数いないほうがうまくいくのは、共同体の大小を問わない定理のように思う。』

アメリカには二つの顔があるように思う。一方では男女平等思想が発達していて、もう一方では男尊女卑が厳然とある・・・というような。
両性があるということは、それぞれの役割が分かれていることは確かなのだろう。それぞれの特徴が十全に発揮できるような社会であってほしいものだ。

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

日本の男女平等は得てして職場において良く現れていたのですが、女性は権利主張をするときは男女平等を唱え、義務を履行するときは女性にそんなことをさせるのかと非難することが多かった経験があります。でも所詮女性は弱い者保護される者と思って仕事をすると正解だった。
家庭でも1歩下がって意見を聞いています、うるさいと思っても顔に出さず「そうだね」というのが家庭円満です。

fj さんのコメント...

問題だと思うのは、職場における男女平等をします。
podias英語での書き込みました。
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ポルトガルからの友人を日本に抱擁

ichi さんのコメント...
このコメントは投稿者によって削除されました。
ichi さんのコメント...

> Mr.fj que UM homem japonês não nota que é tratado melhor que a mulher.

SHISHAMOとジャズのリズム

SHISHAMOの武道館でのライブを記録した,ブルーレイディスクを聞いている。SHISHAMOの曲の詞はメロディーに乗せるのがジャズのリズムになっている気がしてしょうがない。そう,これらの詞はジャズのインプロビゼーションそのものだ。