「・・・地震4日目に東京をヘリでたち同日仙台入り直ちに車で東松島に入りました。福島原
発をさけだんだんと被害地に近づくにつれ、上空より見る風景が異様な風景におどろかされました。今回の被害地は緑に囲まれ、豊富な自然の恵みに育まれた青い海を望む街が見られるはず
でしたが、黒く濁った海、焼けただれた街、瓦礫に埋まった街しか見ることが出来ま
せんでした。
東松山市に入るとそこは、地獄としか言いようが有りません。3月11日午後2時4
5分を境に、人々の話声、笑い声、子供の声、動物の鳴き声、街のにおい、そのすべ
てを奪い去ってしまいました。此の時より街の風景は瓦礫の山、本来海にあるはずの
漁船がころがっており、やっと車であることが分るほど痛みつけられた車、動物の死
体、また瓦礫に挟まれ男性か女性か区別するのが困難な死体が転がっておりました。
子供を津波より守ろうとしてしっかり抱いたまま、死んでいた母親、2人で何とか逃
げようとして手をつないで被害に遭った老夫婦。
また、海には、津波に流された死体が浮かんでたり、動物の死体、瓦礫があちらこち
らに浮いておりました。
そこには海のにおいはなく、重油と汚物の混ざった匂いしかにおいません。日に何度
涙を流したかわかりませんでした。
幹線道路はかたずけられましたが、周りは瓦礫の山で少しの風でもほこりが立ち、独
特のにおいが町中に漂っております。
亡くなった多くの方々は、殆んど方が身元の確認が出来ず、送る方もなく、身元不明
者扱いで土葬されております。見るたびに胸が締め付けられます。
街に野生化した犬、牛、馬が歩いており、びっくりします。
最近の新聞では、震災に遭った街はだんだん立ち直ってきているような報道がされて
おりますが、これはごく一部の街での事で、まだまだ立ち上がってはおりません。
人々の心は、やっと自分がどのように所にいるのか、これから何をやろうかと考え始
めることが出来るようになり始めております。援助物資・食料の配給もまだまだ十分
ではありません。ライフラインもまだ末端まで届いておりません。人々の立ち直りに
どのくらいの時間がかかるのかはかり知れません。多くの人たちは震災前の街に戻る
のは不可能と思いはいじめておりますが、先祖代々の土地、畑、家畜、漁業を失うこ
とはできず、苦悩に満ちております。
まだ多くの方の心温まる援助が必要です。
今回強く感じたのは、「自然の力の前では、絶対安全なものはない」と言う事でし
た。・・・」
彼は、まさに地獄絵図を目の当たりにしたようだ。
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