月曜日, 7月 09, 2007

原爆100万人米兵救済神話の起源

7月9日の東京新聞のコラムに三省堂から出された「「東京を爆撃せよ―米軍作戦任務報告書は語る」の新版の解説記事がある。東京空襲は当初から一般市民を標的としていたのだ。
原爆投下についても、アメリカの当時の思想の根底には同じものが流れていると見るのが自然だろう。
「萬晩報」7月8日 東京大学教授 中澤英雄(ドイツ文学)氏の記事から・・・、

原爆100万人米兵救済神話の起源
久間章生氏の 「原爆はしょうがなかった」発言につづき、米政府のロバート・ジョセフ核不拡散問題特使(前国務次官)が7月3日に、広島・長崎への原爆投下について「原 爆の使用が終戦をもたらし、連合国側の数十万単位の人命だけでなく、文字通り、何百万人もの日本人の命を救ったという点では、ほとんどの歴史家の見解は一 致する」と語ったという。
http://www.asahi.com/politics/update/0704/TKY200707040381.html
『・・・資料は仲晃著『黙殺』上・下(NHKブックス)である。
 ■トルーマンがあげる3種類の数字
 『黙殺』上巻によれば、原爆投下の指示を出したトルーマン大統領は、戦後になって、原爆によって救われた米兵の数を少なくとも3種類あげている(122頁)。
(イ)25万人:1948年4月12日、妹に宛てた手紙
 「米兵25万人を救うため」(トルーマンは「lives」と書いているので、25万人の戦死者を救うため、という意味になる)。
(ロ)50万人:1955年に出版された回顧録
 「マーシャル将軍は、敵を〔原爆を使わないで〕本拠地で降伏させるには、50万人の生命が失われることになるかも知れないと私に告げた」
(ハ)100万人:1953年、シカゴ大学ケイト教授への手紙
 マーシャル陸軍参謀総長から、「アメリカ軍の戦闘犠牲者(カジュアルティーズ)は、少なく見積もっても25万人、多ければ100万人にものぼるかも知れない」と聞かされた。
 ここで注意しなければならないのは、戦死者(lives)と戦闘犠牲者(casualties)の違いである。米軍が「カジュアルティーズ」と言うとき には、それは戦死者、負傷者、行方不明者を合計したものをいう。日米戦における米軍の戦死者は、全戦闘犠牲者の平均20~25%であった(『黙殺』上巻 70頁)。負傷者の中には、数週間の治療で、戦線に復帰できる者たちも含まれる。』
トルーマンは、自分の罪の意識を和らげ、非人道的な原爆投下を世界人類に対して正当化するために、無意識からの衝迫に突き動かされて、原爆によって救われた米兵の数を、戦死者とカジュアルティーズを混同することによって、次々と水増しせざるをえなかったのである。』
この神話を宣 伝しているのは、軍事史研究家のエドワード・ドリアやD・M・ジャングレコなどである(仲氏著書)。これは、トルーマンではなく、アメリカ国民が、みずか らの行為を正当化し、罪の意識を和らげるためにつくり出した神話である。この神話にさえも安住できず、アメリカ国民は、「原爆は何百万人もの日本人の命を 救った」という新たな神話まで必要としているのであろう。
 だが、事実を直視しないで、虚構で罪の意識を隠蔽しているかぎり、アメリカ人の心に永遠に平安が訪れることはなく、次から次へと新たな神話を必要とするのである――ちょうど、次々と数字を膨らませていったトルーマンと同じように。』


なんか、日本政府や最高裁判所が戦後責任の問題を扱うときの基本方針を思い出させるなぁ。

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SHISHAMOとジャズのリズム

SHISHAMOの武道館でのライブを記録した,ブルーレイディスクを聞いている。SHISHAMOの曲の詞はメロディーに乗せるのがジャズのリズムになっている気がしてしょうがない。そう,これらの詞はジャズのインプロビゼーションそのものだ。