『東京都足立区のある小学校で、学カテストのさい間違った答えを記す子どもに見回りの先生が合図を送って訂正を促していた。学カテストの学校平均点を上げるためで、学校ぐるみのカンニングであった。』
『競争政策が効果を上げるには、平等の機会でスタートし、個々の競争が全体の水準を押し上げる仕組みが必要だ。経済格差という根本問題を抜きに、機会平等でも自由市場でもない世界に競争を取り入れようとした考えに無理がある。競争原理だの、成果主義だのといった言葉がこんな世界にまで害毒を流している。小泉・竹中ライン以来の後遺症だ。』
拍手拍手! そのとおり。
学力テストで全国の小学校のレベルを比べてみようというもくろみは、少数の自治体、優秀な私立の学校の不参加で意味をなさなくなってるらしい。
こんな不正を小学生に教えるのが教育と錯覚している教師も教師だし、教育委員会も教育委員会だ。日本の教育はどこに行ってしまったのか。
江戸時代の寺子屋方式は、世界に冠たるものだったと思うのだが、明治以来、西欧文化至上主義に偏った路線から未だに脱却できないでいる日本という構図が見えるような気がする。
昔の下町の生活が懐かしさを誘うのは、あまりにも競争社会になりすぎたためかも知れない。
一方で、世界の変化はものすごいスピードで進んでいる。それに追いついて行くには、社会の構造変革が必要なのは分かる。でも、日本の政治家や官僚のやり方は稚拙すぎるのだ。おそらく勉強も足りない。
2 件のコメント:
学校は勉強をするところで競争をするところではない、ましていじめをするところではない。でも現実として競争もいじめもある、うちの娘も生真面目な性格をからかわれ、中学・高校といじめの対象となっていたらしい。標記の記事で私が気になるのは「学校ぐるみのカンニング」これは指導的立場に有る者の意を汲んでやったのだと思う、組織にはこれが必ずある、これがやだ。この体育会的姿勢を直し甘えではなく助け合いの精神でやれば勉強が出来る子も出来ない子もまた社会的には金持ちな人も貧乏な人もそれなりに幸せになれると思いますが違いますか?
人によってそれなりの幸せを得られるというのが一番ですね。
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