働きながら勉強している勤勉な少年という説明を受けたような気がする。
さて、そんな説明は本当だったのだろうか。
二宮金次郎が薪を背負っている理由 - ビジネススタイル - nikkei BPnet
『二宮金次郎は、1787年に生まれて1800年代前半に活躍した人だ。この1700年後半から1800年前半にかけては、現代と重なる部分が多い時代だった。人口もGDPもほとんど増えない低成長が続いた。』
『江戸時代に寺子屋で教えていたのは儒教だった。僕は子供のころに、金次郎が何の本を読んでいるのか気になり、台座に上って本を覗いたことがある。そこに は、1行1行しっかりと漢字が書いてあった。当時は小学校2年生くらいだったから、漢字ばっかりですごいなと感心したものだが、いま考えると当たり前のこ とだ。二宮金次郎が薪を背負いつつ読んでいる本は、儒学の経書である四書五経の『大学』だ。漢字で書いてあるに決まっている。』
『江戸時代の燃料はほとんどが薪だ。そこで、薪は高い価格で売ることができた。二宮金次郎は、換金効率の良い高額商品を背負っていた。ここが大事なところだ。米をつくるよりも薪を売ったほうが、手っ取り早くお金になる。金次郎は、効率を重視していたのだ。』
『こうして儲けたお金を、彼は「運用」して増やしていった。自分が貯めた金を、村人に融資し始めたのだ。』
『金次郎ファンドは、最初は個人向けにに融資していた。それが村単位の出資に拡大。さらに広がり、関東600カ村に融資するまでになった。最終的には、関東平野の小大名や旗本にも融資をすることとなる。』
『・・・金次郎はこのマニュアルづくりに7年間も没頭した。弟子や仲間を集め、一種のシンクタンクをつくり、あらゆるケースに対応できるようにシミュレーションを 行った。完成した行政改革のマニュアルは、新田の開発からお金の運用について、180年先の未来まで見通したさまざまなパターンを収容している。』
『戦後民主主義は、戦前をすべて否定。二宮金次郎も、根性と倹約という古い観念に閉じこめられてしまった。しかし、倹約は「コスト削減」、根性は「企画を実 現するための実行力」と置き換えて考えればいい。金次郎の改革や考え方は、人口減少と低経済成長が懸念される現代にも通じるものがある。』
こんなことは知らなかった。中国の某所で二宮金次郎の思想を実践しているところがあるという新聞記事を見たことがある。一度、ちゃんと二宮金次郎について勉強してみる必要があるかも知れない。いや、もう僕にとっては遅きに失したというところかな?
2 件のコメント:
そういえば平小も平中もいませんでしたねぇ。
代わりにリンリンランランという像があったけどあの人たちはどなただったのかな。。
・・・・・?
年代が違いすぎる?
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