月曜日, 8月 20, 2007

相撲と皇室

東京新聞の江川達也氏のコラムから、
『江戸時代、相撲取りは神様とされた。古事記において、日本の神は無茶苦茶な性格で暴れ回っている描写が頻繁に見られる。祭が盛り上がり、伝統文化への情熱が燃えるためには、豪快な力士が無茶を通す姿を歓喜と共に迎え入れる、おおらかな民衆が必要なのだ。』

同じく、月刊『創』編集長・篠田博之氏のコラムから、
『伝統ある国技といっても今の大相撲は外国人力士に支えられており、制度としては完全に空洞化している。現実との乖離が様々な矛盾を噴出させている点で、私にはこれが天皇制とよく似ているように思える。』
『今年二月に講談社が出版中止した皇室本『プリンセス・マサコ』の日本版がこの九月、第二書館から刊行される。ところが同社社長は元日本赤軍メンバー。皇室にとって頭の痛い事態だ、という内容である。』

今年の8月は、新聞もテレビも戦後62年経って口を開き始めた元日本兵に取材して、多くの記事や番組を見ることができた。戦後補償の個人への問題については、最高裁が企業と国が責任を負うべきだという付記を付けた判決を出しているそうだ。
先日は、新聞報道で日本主導でインターネットに代る新しい安全で高速なネットの開発をして、南米市場を手に入れようと目論んでいるという記事が出ていた。
前者は、高齢になった戦争被害者が裁判を起こさなければ、企業も国も手を打たないだろう。
後者は、そんなネットは量子コンピューターと量子暗号を使ったものでなければ、実現できないだろう。
かつて、ハイビジョンで欧米の反感を買って、デジタルテレビの技術で後れを取り、インターネットの優秀さを見抜けずに、ヨーロッパと共に運命を共にした失敗を、今再び犯そうとしているように思えてならない。日本は、世界に向かって現実味のない大言壮語を発するのを慎んだ方がいいと思うのだけど・・・。

これらの動きを見ていると、日本社会は閉塞状況に陥り、社会制度そのものが制度疲労を起こしているとしか思えない。西欧文化に日本人は毒されすぎたのか? 相撲の問題にしても天皇制の問題にしても、ここまでこじれさせてしまうということは・・・。
相撲はかつて神事であったことを思い起こして力士を教育する必要があるだろうし、宮内庁はもっと民衆に開かれた官庁になる必要があるだろう。でなければ、こうした騒動は今後も起こるだろう。
これからは小さな事にひとつひとつ応えて解決していくようなきめ細かく動ける社会制度でなければ、今の世界には伍していけないだろう。

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SHISHAMOとジャズのリズム

SHISHAMOの武道館でのライブを記録した,ブルーレイディスクを聞いている。SHISHAMOの曲の詞はメロディーに乗せるのがジャズのリズムになっている気がしてしょうがない。そう,これらの詞はジャズのインプロビゼーションそのものだ。