『空虚―からっぽ―の空間にはエナジーが満ちわたっていて、その力(タオ・エナジー)が万物を産み出す。そのエナジーは私たちの中にも、命として働いている―と老子は語る。』
『自分が遠くから伝わった存在であり、また遠くへゆくものだという生命意識を心に据える時』
『「足ルヲ知ルモノハ富ム」・・・この言葉は自分の内なる生命意識に心を向けよ、するとそこに限りない豊かな富を見つけるだろう、ということだと気づいた。』
『団塊の世代の人々は、社会からは以前ほど求められなくなったかもしれぬが、それだけにかえって、自分も外に求めずに、内側に富を、生き甲斐をみつける時点にいる。そしてそれは誰にも求めないでひとりでできることなのだ。』
なるほど・・・、そういうことのできた人は幸せだ。実際は現実のしがらみから、なかなかそうは行かないのではないかな?
上野千鶴子著「おひとりさまの老後」の書評に以下のような紹介があった。〈評者 森清〉
曰く、「ひとりで生きるのが基本」
曰く、「いっしょにいてキモチがよい人になれ」
曰く、「友人、家族にメンテナンスする」
曰く、「暮らすにも逝くにもお金は要るから工夫せよ」
曰く、「介護される智恵と力が必要」
曰く、「孤独死はこわくない」
『人は「生老病死」を生きる。本書は「病」にあまり触れていない。』ともあった。
こちらは現実的だ。実際、何をするにもお金がいるんだもの・・・。まったく。
生き方ではなく、実際に生活するに当たってのことが、当面の問題になってしまう。
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