日曜日, 8月 26, 2007

「レガシーからWindowsへ」は「人が犬を噛む」ようなもの?

この記事の中の一部についてちょっと思うところがある。

「レガシーからWindowsへ」は「人が犬を噛む」ようなもの?:ITpro
『2003年7月1日にマイクロソフト日本法人の社長に就任したマイケル・ローディング氏の談話が、6月26日付日本経済新聞朝刊に掲載された。記事の見出しは「大型汎用機から『乗り換え』開拓」である。この記事を読んだ筆者は、「10年前にも同じような発言を聞いたなあ」という感想を抱いた。ローディング氏が実際にどのように話したのかは分からない。この記事を読む限りでは、「日本の法人市場はレガシー(大型汎用機主体システム)が多く残っている。ウィンドウズなどオープン系のシステムに替えればコストが大幅に減らせる」と述べている。』
『その結果、どうなったか。メインフレームを一掃できなかった企業は、メインフレームの周りに相当な数のUNIXサーバーとパソコン・サーバーを並べ、運用費用と保守費用で首が回らなくなっている。思い切ってメインフレームを一掃した企業も、オープンなサーバー群の維持費用で、新規投資どころではない。つまり、いわゆるオープンなサーバーに切り替えたところで、システム全体の作り方や、運用面で革新がない限り、コストはたいして下がらないのである。』

実はこの後段の部分だけれども、「システム全体の作り方や、運用面で革新がない限り・・・」というところは、既に僕の考えでは革新はなされていると思っている。真の問題は、OSや汎用性のあるアプリを欧米の企業に押さえられて、日本のIT産業は首根っこを押さえ込まれてしまったために、また、自前のシステム運用者やシステム設計者を育てなかったために、今日の状況が作り出されてしまっていると考えている。
なるほど、TRONなどのケータイにおけるような一部のものでは成功を収めてはいるが、汎用的でない点、チマチマしたものだけでしかない点で、欧米に大きく後れをとってしまったのだ。だから、大型のシステムのソフトの汎用性のあるものはすべて外資系企業に押さえられてしまい、それら以外の、今日本で動いている大きなシステムは自前で開発した独自の費用対効果の非効率なものばかりになってしまっているのが根本原因だと僕は考えている。
ところで、タイトルの意味は・・・、
『最後に本稿に付けた妙な題名を解説する。メインフレームをUNIXサーバーに切り替えることはかつてニュースであった。今でいうと、Windowsサーバーに切り替えるとニュースになる。犬が人を噛んでもニュースにはならないが、その逆はニュースになる。これと同じである。』

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SHISHAMOとジャズのリズム

SHISHAMOの武道館でのライブを記録した,ブルーレイディスクを聞いている。SHISHAMOの曲の詞はメロディーに乗せるのがジャズのリズムになっている気がしてしょうがない。そう,これらの詞はジャズのインプロビゼーションそのものだ。