土曜日, 12月 15, 2007

有田芳生の『酔醒漫録』: アメリカ型犯罪が起きる日本社会の変質

日本社会の変質か・・・、そういう解釈のほうが的確かな?

有田芳生の『酔醒漫録』: アメリカ型犯罪が起きる日本社会の変質
『発砲事件は統計的には2001年の215件から減少し、今年は54件、死者は19人(一般人の死者は8人)だ。昨年の死者2人に比べて増加している。問題は統計数字ではない。佐世保事件のようなアメリカ型犯罪(発生形態と結末)を「きざし」として敏感にならなければならない。散弾銃を乱射し、犯行後に自殺する事件はアメリカではしばしば起きている。日本の犯罪に質的変化が起きたきっかけは1995年のオウム事件であった。ここでも「95年転機」なのだ。スポーツクラブという日常空間で発砲事件が起きた異常は、日本社会の劣化を象徴して余りある。』
日本社会の劣化とは、グローバリズムに飲み込まれた結果としてなのだろうか?オウム事件を質的変化のきっかけとみるのは、オカルトの蔓延をきっかけとしているのだろうか?では、日本赤軍の日航機乗っ取り事件はどうだろうか?いまだに北朝鮮による日本人拉致事件として尾を引いたままではなかろうか?
戦後日本は、経済・文化の進歩はあっても、各個人の精神構造は支離滅裂になってしまったのではないか?多様化とも言えるか?万葉の昔から日本には哲学が芽生えなかった。その代わり文学は世界に冠たる源氏物語をはじめとして、和歌、俳句などの世界を発達させた。神道、仏教、儒教は盛んだったが道教はあまり受け入れられなかった。国学の樹立が図られたりもした。明治以降、西洋の学問を急激に輸入したが、やはりどこかいびつになっているのかもしれない。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

こういう犯罪者は統合失調症を除きいつも身近にいる普通の人です、普通の人がなぜ急に暴発してしまうのでしょうか、やはり他の人と比較し自分は価値のない脱落者と思い、そうなったのは社会が悪い、そういう社会に未練はないが、自分一人で死ぬのは犬死になるので身近な人を道連れにして死のうとなったのでしょうか?それなりの生活をしていた犯人に比較し世界にはまだまだ食べることも満足に出来ない人が多くいます、それでも希望をもって生きています。人と比較する前に他人のために生きることを考えて欲しい、やはり裕福が思いやりを駆除した結果かな、戻ることは出来ないけれど、昔のような貧乏も経験し耐えるということを勉強して欲しいと思います。

SHISHAMOとジャズのリズム

SHISHAMOの武道館でのライブを記録した,ブルーレイディスクを聞いている。SHISHAMOの曲の詞はメロディーに乗せるのがジャズのリズムになっている気がしてしょうがない。そう,これらの詞はジャズのインプロビゼーションそのものだ。