『言葉のアクセントが独特で、しかも文脈を無視して変なところで切れるから、歌詞の意味が取りにくい。高木東六が聴いたら激怒しただろう。』
高木東六を持ち出しているところが面白い。
『何かぶつぶつ呟いているかと思えば突然絶叫して、まるで呪文である。そのくせテロツプを読むと歌詞は結構理屈っぽく、歌い手の自己陶酔ぶりとはどこかちぐはぐである。』
今朝ラジオを聴いていたら、赤ん坊にミルクを与えるのに、母親が抱えて飲ますのでなく、座席の上に赤ん坊を置いて、ミルク瓶の下に母親の財布を置いてミルクを飲ましていた光景を目にした話をしていた人がいた。こうして育った人間は当然コミュニケーションの取り方が今までの人間とは違ってくることが想像される。歌にもそうした影響が出てくるのだろう。
他者は関係なく、自分の情念だけを表現していて、いわゆる「うた」の概念がもう違ってきているのだ。そうした歌手のファンは、なんに共感しているのだろう? 資本のマスコミ操作に翻弄されているだけではないのだろうか? いずれにしろさびしい話ではある。
1 件のコメント:
歌はよにつれ、世は歌につれといわれるように、時代の空気を掴むのは流行歌であるからあまり深く考えないのでも良いのではないですか。
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