金曜日, 3月 16, 2007

プーチン体制を貫く強国精神

最近のロシアの民主主義の後退、中国の止まるところを知らない軍事予算の増額、そんな隣国をもつ日本はこれからどうなるのだろうか?なるほど、現実的にはアメリカの傘のなかで、基地の維持管理などの経費の肩代わりをしていればいいのだろうが、いざというときにそれで本当に国の権益を守れるだろうか。経済的にはすでにアメリカのグローバリズムに完全に取り込まれているではないか。ロシアは大国主義を追及しているし、中国は相変わらず中華思想は健在だ。さて、日本はどこに行くのだろう。
ディプロ2007-2 - La << nouvelle Russie >> de Vladimir Poutine
『大きな政策転換が行われたのは2003年、第二次プーチン政権が発足した時のことだ。石油・ガスという重要部門が、プーチンの息のかかった国家企業家に任されるようになった。これらの企業の一部は、エリツィン政権による民営化の際に「友情価格」で払い下げを受けていた新興財閥層の手に渡った(6)。戦略資産の保護政策は、外資の参入を禁じているわけではないが、ガスプロムとトランスネフチという国策エネルギー会社による攻勢と同様に、ロシア政府の戦略の一環をなすものだ。つまり、大国ロシアの「抑え込み」という、1991年以降アメリカが進めてきた政策への反撃である。』
『2006年秋に発生した一連の暗殺事件について、多くのジャーナリストは異口同音に、クレムリンが反対派を消すために行ったものだという極めて単純な説明を与えた。もっと複雑な背景があることが明らかになると、これらの事件は瞬く間に欧米紙の一面トップから消え去った。ロシアのメディアは、もつれた手がかりの調査を続けた。そこで強調されているのは、いくつかの符合があるということだ。ジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤの暗殺事件が起きたのは、プーチンの誕生日である10月7日だ。彼はこの時、欧ロ関係にとって重要なドイツ訪問の最中だった。同様に、かつてロシア連邦保安局(FSB)に在籍し、その後にボリス・ベレゾフスキーと手を組んだアレクサンドル・リトヴィネンコが、毒を盛られて死亡した 11月23日は、ヘルシンキでロシア・ヨーロッパ首脳会議が開催された時期と一致している。』

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SHISHAMOとジャズのリズム

SHISHAMOの武道館でのライブを記録した,ブルーレイディスクを聞いている。SHISHAMOの曲の詞はメロディーに乗せるのがジャズのリズムになっている気がしてしょうがない。そう,これらの詞はジャズのインプロビゼーションそのものだ。