金曜日, 9月 07, 2007

年金問題が象徴する日本社会の大いなる課題

要は明確な日本独自の理念がないということだろう。
目先の問題をとりあえず回避しておけば、すべて何とかなるという態度だ。
昔から「100年の計」という言葉があるではないか。
今の日本人は、合理主義、効率優先という言葉に目先がくらんでいるのだろう。

年金問題が象徴する日本社会の大いなる課題 (宮田秀明の「経営の設計学」- NBonline
『社会保険庁の業務には、いい加減なことが多すぎることが判明して、国民が怒っている。ついには、参議院選挙に大きな影響を与えた。あまりの批判の強さに、社会保険庁は2010年に日本年金機構という新しい組織に衣替えすることを決め、それまでにもいろいろな業務改革をしようとしている。』
『こうした小手先のソリューション改革でお茶を濁すという考え方は、ここにきてたまたま年金問題が象徴しただけで、以前から日本社会に巣食う大きな課題である。
 ここで言う「ソリューション」とは、与えられたビジネスやサービスのモデルを実行するためのやり方(実行手段)のことだ。ソリューションの上位にある概念は「モデル」である。企業経営におけるビジネスモデルは、このモデルの1種だ。工学的にはシステムや方程式と言い換えてもいい。与えられた方程式(モデル)の解を求める方法がソリューションだ。』
『明治以来、延々とこうしたことを繰り返してきたのが、日本の産業や行政の姿と見ることができる。この結果が、例えば日本で使われるコンピューターソフトウエアのほとんどが輸入品という事実だったり、競争力を失って東アジアの国々に乗り越えられそうになっている製造業という現実だったり、時代の変化に乗り遅れて間違いだらけどころか腐敗臭さえ感じられる行政サービスだったり、全く主体性のない日本外交だったりする。
多くの先進国では、どんな社会システムでもビジネスでも、最初にビジョンがあり、そこからコンセプトを創造して、具体的なモデルに落とし込んで、始められてきた。しかし日本では、明治以来、コンセプトやモデルの多くが欧州や米国からの借り物だったケースが少なくない。』
『 コンセプトの創造、モデルの創造の価値がいかに高いか、日本企業は多くの場面で思い知らされているはずだ。コンセプトとモデルを借り物で済ませる習い性を変えて、私たちも早く主役にならなければ、日本の競争力は弱まるばかりだ。
 ソリューションレベルの経営、モデルレベルの経営、コンセプトレベルの経営の3つがある。ソリューションレベルの経営だけでは危うい。小手先のソリューション改革だけでは、社員も国民も疲弊するばかりだ。コンセプトとモデルの上位概念が、強い競争力を生み出すことを、そろそろ理解したいものである。』

日本は古来、中国から持ってきた律令制度から始まって、社会制度面でも海外からの借り物で済ませてきた。でも、江戸時代の鎖国政策により、日本独自の文化、技術、社会制度が、海外の優秀な考え方を一部取り入れながらも、育った時期があったではないか。
激動する現在こそ今また再び、日本自身の頭で物事を考えなければならない時期に来ているということだろう。まず、大学から手をつけなければダメかなぁ?

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SHISHAMOとジャズのリズム

SHISHAMOの武道館でのライブを記録した,ブルーレイディスクを聞いている。SHISHAMOの曲の詞はメロディーに乗せるのがジャズのリズムになっている気がしてしょうがない。そう,これらの詞はジャズのインプロビゼーションそのものだ。