金曜日, 2月 08, 2008

日本語の起源

東京新聞「大野晋さんへのインタビュー記事」から、
『日本語の起源を求めてインド南部のドラヴィダ語族タミル語にたどりついた大野晋さん(八八)。古典語の研究で打ち立てた金字塔を礎に、タミル語研究に没頭すること三十年近く。人類学、考古学分野なども採り入れ、「タミル語は文化・文明とともに日本にやってきた」と結論。』
『奈良時代、日本語の母音は八つあった。音節は濁音を含めて八十七が区別されていた。先生の発見が万葉仮名の単語の意味解明や文法研究に大きく道を開いた。』
『タミル語と対面したのは昭和五十四年のこと。僕は六十歳。一冊のドラヴィダ語の辞書を偶然入手したんです。すると日本語と似た単語が満載ですよ。』
『タミル人、インド人学者夫妻らを日本に招いて協力を得、現地に出向き、五百語以上の対応語を確認した。米に関してだけでも「糠」「粥」「餅」など二十の対応語がある。タミルで紀元前二百年以降四百年の間に編纂された歌集「サンガム」も学んだ。そこには日本語でいう係り結びがあり、「五七五七五七…七」という長歌形式があり、「五七五七七」の短歌形式も存在する。』
『「一月十五日に赤い米を炊いてそのお粥を食べる」。タミル人の言葉にびっくりでした。僕の家でも一月十五日に小豆粥を炊いて食べた。これを現地に行って再現してもらい、同じ風習をそこに見た。小正月の行事や冠婚葬祭なども日本とそっくり。研究は考古学などまで拡大したわけです。』
『日本語は母音終わりですね。ハワイ語などポリネシア語も母音終わり。縄文時代、まずこの言語が台湾、沖縄から西日本に入ってきた。創世神話でもポリネシアと日本には共通点があります。蒙古斑もあります。ポリネシア語の後にタミル語が到来し、ヤマトコトバが生まれた。そして朝鮮半島を経て漢字が伝わり、文字を持つようになった。』
『インドの南から南シナ海を経て、対馬海流に乗り、北九州と南朝鮮にやってきた。そう考えると説明がつく。そのとき、タミル人は水田稲作、鉄、機織りを持ってきた。文化・文明が言葉をもたらしたのです。』

こんな話、はじめて聞いた。もっともユダヤ人渡来説もあるそうだから、仮説としてなら何でもありということも考えられるが、このタミル人渡来説は生活習慣や対応語の多さがいやに説得力があって、ユダヤ人渡来説などとは一線を画す。
タミル語研究はまだ途上だという。でも、道祖神の由来とか、日本人にとっての神様とかについても考えてみると面白いかもしれない。
こりゃ~、「日本語の源流を求めて」(岩波新書)を読んでみたくなった。

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SHISHAMOとジャズのリズム

SHISHAMOの武道館でのライブを記録した,ブルーレイディスクを聞いている。SHISHAMOの曲の詞はメロディーに乗せるのがジャズのリズムになっている気がしてしょうがない。そう,これらの詞はジャズのインプロビゼーションそのものだ。