土曜日, 2月 23, 2008

非常識な法相

東京新聞から…、
『「冤罪という言葉は全く別の人を逮捕し、服役後に真犯人が現れるなど百パーセントぬれぎぬの場合を言い、それ以外の無罪事件まで冤罪を適用すると、およそ無罪というのは全部冤罪にってしまうのではないか」』

という発言。
批判その1、
『慶応大学の小林節教授(憲法学)は「大辞林によれば、冤罪とは『罪がないのに、疑われたり罰を受けたりすること』。捜査段階におけるものと、裁判によるものと、二種類ある。今回は前者だが、捜査責任者の全国会議での発言なのに内容が正確でなく、無罪が確定した被害者にも失礼」。』

批判その2、
『落合氏は「志布志事件は検察が控訴もできず、判決に異論をさしはさめませんという決定的敗北。戦前は疑獄事件で完全無罪が出ると検事が辞職したりしている。それとは逆に、あとから冤罪じゃないとか言うのは三権分立上、問題だ」。』

批判その3、
『裁判官は知らないかもしれないが、検察を長く担当した記者なら、無罪判決後に「裁判官がバカだから」というセリフを耳にしたことが一度や三度はある。中山さんら十二人の無罪確定後も、これに類することを吹聴した検察幹部がいなかったかどうか。』
『田島氏も「最高裁は音なしの構えだが、沈黙は”暗黙の是認”と受け取られる。現場裁判官にプレツシャーがかかることが怖い。笑い話ではない。従来も”司法は政治の追認”が日本のパターンだ」。』

最後に「デスクメモ」として、
『志布志事件は、悔しさのあまり自殺未遂、会社をクビになって生活苦…たとえ汚名は晴れても、傷の癒えない人を生み出した。「冤罪ではない」発言は、傷口に塩をすり込んだ。法相にその自覚はあるのか。』

とある。「司法は政治の追認」というのは今までもしばしば感じさせられていたことだ。
福田首相は法相に対し注意も与えず、罷免もしない。こんな内閣では短命に終わるしかないだろう。もっともそれ以前に、非常識な閣僚で構成される内閣にこの国の進路が左右されることのほうが心配だ。

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SHISHAMOとジャズのリズム

SHISHAMOの武道館でのライブを記録した,ブルーレイディスクを聞いている。SHISHAMOの曲の詞はメロディーに乗せるのがジャズのリズムになっている気がしてしょうがない。そう,これらの詞はジャズのインプロビゼーションそのものだ。